今の大阪市の区域はかつてほとんど海と湖だった

大阪市は大阪湾に面している平野にありますが、現在の大阪市の区域はほとんど海や湖だったのは知っていますか。いつ頃に今の大阪市の形になったんでしょうか。

1800年前は湖だった大阪市の東部

1800年前、大阪城の東から生駒山地のそばの東大阪市にかけての低地帯には、河内湖とよばれる遠浅の淡水湖がありました。

つまりいま大阪市内の都島区、城東区、東成区、鶴見区といったあたりは、古代には湖の底に沈んでいたことになります。昔は大阪湾から、船で生駒山地のそばに到達することができました。

年月を経てだんだんと湖は干拓などで縮小していき、平安時代には河内湖はほとんどなくなって、大きな大阪の平野が誕生しました。

大阪市の西部は安土桃山時代までは海だった

いま大阪市南部の住吉区の住吉大社から、難波の大阪城のあたりにかけては、上町台地とよばれる高台になっています。ここを境界にして西側はすべて大阪湾の海が広がっていました。

現在は住之江区、大正区、港区、此花区、福島区、西淀川区などは埋立地の陸地になっていますが、わずか500年前までほとんどが海の底だったことになります。

住吉区の住吉大社の目の前が海でしたが、いまでは海岸線ははるか8~10キロちかくも彼方に遠ざかってしまっているのです。

大阪湾の埋め立てが本格化したのは江戸時代

天下の台所・大阪は手狭になったせいか、大阪湾は徐々に埋め立てられ、埋立地は西へと拡大し始めます。

京セラドームのあるあたりは、江戸時代の埋立地です。明治から戦前にかけては埋立事業はそれほど大規模ではありませんでしたが、戦後になってから再び拡大します。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのある此花区、大阪府庁舎のある咲洲、もっとも西の舞洲、夢州まで至っています。大阪市だけではなく、神戸市のポートアイランドや神戸空港、泉佐野市の関西空港まで、大阪湾はどんどん埋め立てられて面積が年々狭くなってきました。

かつてあった海流も、埋立地によって変わっていますし、風景自体も一変しているのが、大阪湾岸エリアというわけです。

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